北海道の木彫りの熊とは?木彫り職人・藤戸竹喜さんはどんな人?

北海道の、お土産の定番のひとつに、
木彫りの熊があります。

筆者の実家にも20センチくらいの
鮭をくわえた、焦げ茶色のものがあります。

この記事では、
北海道土産・木彫りの熊ができた経緯と、
木彫り職人・藤戸竹喜(ふじと たけき)さんについて
調べたことを書きます。

目次

  1. 北海道の木彫りの熊はいつ、どうしてできたの?
  2. 北海道の木彫りの熊、職人藤戸竹喜さんはどんな人?
  3. 北海道の木彫りの熊の値段いくらぐらい?

1.北海道の木彫りの熊はいつ、どうしてできたの?

大正時代、北海道道南の八雲町に、旧尾張藩士が入植した、
徳川農場がありました。
1878年から入植が行われました。

尾張徳川家第19代当主、徳川義親は毎年のように八雲を訪問しました。
地元アイヌの人々とも交流が深かったといいます。

義親は農業の改良のため、ヨーロッパを視察しました。
その際、ヨーロッパの農民が、農閑期に収入を得るため、
熊彫りをしていることを知りました。

彼は、北海道の農民が貧しい生活をしており、生活を向上させなければ
ならないと考えていたようです。

大正12年(1923年)、彼はスイスのベルンで木彫りの熊を購入しました。
帰国後、徳川農場の農民や、アイヌの人々に、
収入源として彫ることを勧めたのです。

昭和初期には、5000体が生産されたということです。

これが北海道の木彫りの熊のルーツのひとつです。


もう一つのルーツは、アイヌの人々の伝統彫刻です。
アイヌでは様々な動物が「カムイ」、
神の化身としてあがめられていました。

中でも羆は別格です。
貝塚から、古代の羆の彫刻が出土しており、
大昔から、アイヌの人々の伝統の彫り物であったようです。

2.北海道の木彫りの熊・職人藤戸竹喜さんはどんな人?

藤戸竹喜(ふじとたけき)さんは
昭和9年(1934年)に北海道で生まれました。

アイヌ人の父親が木彫り職人でした。
熊を彫っている父のそばで、木のきれっぱしで
遊んでいたそうで、自然に刃物の使い方を覚えました。

11歳の時、初めて見様見真似で、
一体の熊を彫り上げました。

喜んで父親に見せたところ、
何も言わずに、鉞で割られ、
燃やされたそうです。

その後17歳のとき、北海道中の観光地を回り
彫刻技術を学ぶ武者修行をしたそうです。

この行動力には敬服します。


昭和30年代から、北海道は観光ブームで、
木彫りの熊は飛ぶように売れました。

しかし、次第にブームが去ると、
お菓子など他の土産物に押され、
売れなくなっていきました。

藤戸竹喜さんは、ブームの時粗悪なものが
出回ったことが良くなかったといいます。

彼はどんな小さな作品でも
神に祈りをささげてから彫ったそうです。

道を極める人は、やはり心が一途なのだと思います。

熊以外にも、人物、動物などを彫り続けました。


海外でも評価が高く、
1999年にスミソニアン国立自然史博物館(アメリカ)に
アイヌ民族をモデルにした等身大像が展示されました。

その後、北海道文化賞を受賞、
文化庁からは地域文化功労者として表彰されています。

藤戸竹喜さんは平成30年(2018年)10月亡くなられました。
木彫りの熊を調べていくうちに、
様々な人間のドラマ、生きざまが浮かぶことに
感慨をおぼえました。

3.北海道の木彫りの熊の値段いくらぐらい?

小さなもの(数センチ)は1000円程度
一般的な20センチ以上ですと、15000円以上のようです。

マスコットとして小さなものを選ぶか、
きちんとした「気持ちの落ち着くインテリア」として
重量感のあるものを選ぶか、
皆さんの好みで選べますね。

キーホルダーやストラップタイプもあり種類豊富です。

以上北海道の木彫りの熊と職人藤戸竹喜さんについて調べてみました。
読んでくださいましてありがとうございました。


この記事は以下のページを参考にしました。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
八雲町徳川農場のあゆみ
サライインタビュー(2018/2/4)藤戸竹喜さん(木彫家)木彫りの熊でアイヌ文化を伝承

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