明治神宮の森を手掛けた「日本の公園の父」本田静六の生涯・名言

本多静六は「日本の公園の父」とよばれた人です。
日比谷公園のなど全国の公園の設計や、
明治神宮の森の造成も手掛けています。
また、投資家としても巨万の富を築きました。

この記事では本多静六の生涯と名言についてまとめました。

目次

  1. 「日本の公園の父」本多静六の生涯
  2. 「日本の公園の父」本多静六の名言

1.「日本の公園の父」本多静六の生涯

https://ja.wikipedia.org/wiki/本多静六

本多静六は1866年、現在の埼玉県久喜市に
裕福な農家、折原家の6番目の子供として生まれました。

9歳の時父親が急死し、困窮します。
それでもめげずに、年の半分は農業、半分は勉強をしました。
1884年、東京山林学校に入ります。
現在の東京大学農学部です。

在学中、一度試験に落第しました。
これを恥じて井戸に身を投げ
死のう!としましたが果たせませんでした。

腕が井桁に、引っかかったのです。

この後、死力を尽くし猛勉強をし、卒業時には首席でした。

在学中の1889年本多詮子と結婚し、本多家に婿入りしています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ドレスデン

1890年に東京農林学校を卒業、ドイツへ留学します。
(1886年東京山林学校は東京農林学校となった)

ドイツ留学資金は、裕福だった本多家から
援助を受けています。

これは、本多詮子と結婚する際に、
静六が交換条件に出したものです。

静六自身は、まだ結婚したくなかったので
「無理をいえばあきらめてくれるだろう」と思っていたのですが
許可されてしまったそうです。

本多静六が余程魅力ある人物だったのでしょう。

ドイツではドレスデンとミュンヘンで林学を学びました。
留学時代も、一日3時間の睡眠と猛勉強を行いました。


帰国後1892年、東京帝国大学の助教授になりました。
1899年には日本初の「林学博士」、
翌年には教授になっています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/日比谷公園

1901年に日比谷公園の設計にかかわり、
以降、大沼公園、鶴ヶ城公園、明治神宮、大濠公園など
現在も賑わう、数々の公園を造っていきます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/明治神宮

明治神宮は大正時代創建の際、代々木の御料地に造営されました。
当時は荒れ地に過ぎませんでした。
ここに、樫・椎・楠など常緑広葉樹を植樹し、
人の手を介さず世代交代をする森に育てる
壮大な計画を実行しました。

筆者は東京に遊びに行く際は、
明治神宮に行くのが楽しみの一つです。
新宿から近いにもかかわらず、
都心とは思えない、見事な森となっています。

北海道や東北に今も残る、
鉄道防雪林も彼のアイデアです。
10年かけて造成された、防雪林により、
雪崩による鉄道被害が大きく減少しました。

1923年の関東大震災後は、
後藤新平内務大臣の要請で復興原案を作成しています。


1927年、60歳で帝国大学を退官しました。
その際、現在で数百億の資産を
匿名で社会事業に寄付しました。

彼がこれだけの財産を築けたのは、
給与の4分の1を貯蓄し、
それを元手に株式、不動産に投資したからです。

ドイツ留学時代の教授のアドバイスを実行したのです。
「まず貯金をする。それがある額に達したら、
有利な事業に投資する。
日本のような発展途上国では、
幹線鉄道や山林や土地などに投資するのがよい。」

後に、本多静六は、
「私の財産告白」という、財産形成の名著を残しています。

倹約し、元手ができたら、堅実に投資する。
シンプルなのですが、
筆者はなかなかできませんね。

他にも、埼玉県に広大な山林を寄付しました。
この県営林の運営資金が現在も続く
「本多静六博士奨学金」の元になっています。

本多静六は1957年、85年の偉大な生涯を終えました。

2.「日本の公園の父」本多静六の名言

子供のとき、若い頃に贅沢に育った人は必ず貧乏する。
その反対に、早く貧乏を体験した人は必ずあとがよくなる。

つまり人間は一生のうちに、早かれ、おそかれ、一度は貧乏生活を通り越さねばならぬのである。だから、どうせ一度は通る貧乏なら、できるだけ一日でも早くこれを通り越すようにしたい

耳が痛い言葉です。
筆者は金が入ると、すぐに使ってしまいます。
まず、貯蓄をして元手を貯め、
増やしていく努力をしないと、
いつまでたってもお金に使われるままだとも思います。
人間どこかで奮起しないといけませんね。

 私の体験によれば、人生の最大幸福はその職業の道楽化にある。
富も名誉も美衣美食も、職業道楽の愉快さには遠く及ばない。
・・・かの名人と仰がれる画家、彫刻家、音楽家、文士などが、
その職業を苦労としないで、楽しみに道楽にやっているのと同様に、
すべての人がおのおの職業をその仕事を道楽にするということである。

やりたいことを仕事にするのがやはり理想ですね。
筆者はまだその段階にはいません。
ただ現在の仕事、日本語教師は、工夫することが楽しく人の役に立ちます。
まずそこを極め、金を貯め、自由を得たいと思います。

幸福とはまず人生すなわち努力(学び働く事)、
努力即幸福と悟って、早くより働学併進その職業(あらゆる仕事)
を道楽化し、面白く愉快に、いよいよ死ぬまで働き続け学び通す事である。
しかもその職業の目的が自分個人のためよりは
他のため人類のためである場合が最大最高かつ永遠の幸福である。

良い言葉です。
努力すなわち幸福ということは、少しわかる気がします。

現在ベトナムに住んでおりますが、
もっと努力してベトナム語を話せるようになれば、
現地の人とも交流でき、世界が広がると思います。

日本語の教え方がもっと、上手く、魅力的になれば
学生にも喜ばれるはずです。

努力は本来楽しいことだと思います。
自分の力で、自分の人生を広げるのですから。

以上「日本の公園の父」本田静六の生涯と名言をまとめました。

日々の小さな倹約と努力で
大きなことを成していきたいですね。

読んでいただきましてありがとうございました。

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