この記事では、六角精児さん出演の「呑み鉄本線・日本海」の
鉄道路線についてまとめてみました。
六角精児さん「呑み鉄本線・日本旅」の鉄道はどんな路線?(その1)
六角精児さん「呑み鉄本線・日本旅」の鉄道はどんな路線?(その2)
【目次】
1.釧網本線(2018年8月18日放送)
2.天竜浜名湖鉄道(2018年12月1日放送)
3.肥薩線・くま川鉄道(2019年2月23日放送)
4.九頭竜線・長良川鉄道(2019年5月18日放送)
1.釧網本線(2018年8月18日放送)
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釧網本線・原生花園駅(フリー素材)
釧網本線(せんもうほんせん)は網走駅から東釧路駅までの166.2キロの路線です。
東釧路は釧路の一つ隣の駅で、列車は釧路まで直通します。
この路線は、オホーツク岸の流氷、原生花園、知床半島、摩周湖、釧路湿原を繋ぐ国内屈指の観光路線です。
「本線」というにはローカル然とした姿ですが、味わいは深い。
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摩周駅https://ja.wikipedia.org/wiki/釧網本線
北海道は道路が極めて整備されていますので、観光でも車、バスがメインの移動手段です。
それでも、レールのジョイントにコトコト揺られての旅は
何物にも代えがたいものがあります。
釧路湿原を突き進む区間は、昭和の初めの建設の際、
「いくら土を盛っても沈んでいく」と、
労働者を悩ませたイワク付きの区間であります。
現在では「世界遺産」の、釧路湿原のど真ん中に道を通すことはできません。
ある意味貴重なのではないでしょうか?
筆者は四半世紀前の学生時代、自転車で沿線を辿りました。(帰りは列車を利用)
釧路から北へ上がっていき、休んだ塘路(とうろ)駅は既に無人駅でした。
平日の昼間だったせいか、何しろ人の気配が少なかった。
ポカンと先も考えず、休憩していたのは贅沢な思い出です。
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標茶駅(フリー素材)
塘路湖の脇を抜け、標茶の駅でも休みました。
当時はまだキヨスクがあり、
おばちゃんに勧められ「みそぱん」を買ったのが良い思い出ですね。
摩周の駅からは美幌峠の方へ抜けてしまいましたが、
駅から20キロの屈斜路湖の佇まいも忘れられません。
摩周湖もそうですが、駅からのアクセスが
遠いのが少々難点ですね。
2.天竜浜名湖鉄道(2018年12月1日放送)
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天竜浜名湖鉄道(フリー素材)
天竜浜名湖鉄道は、静岡県の掛川駅から静岡県の西端、新所原駅まで67.7キロの路線です。
天浜線の略称で親しまれています。
元国鉄二俣線(ふたまたせん)です。
廃止対象となり1987年第三セクター鉄道へ転換されました。
二俣とは、浜松市天竜区(旧天竜市)の地名です。
天竜川と阿多古川が交わる場所が由来になっています。
旅客の流動方向が浜松指向であり、ルートとあまり一致していません。
これは昭和初期の二俣線建設の動機が、
「浜松周辺爆撃の際、東海道本線のう回路となること」だった為です。
(残念ながら浜松空襲の際、現実化しています)
旅客流動と一致しないので、乗客数は伸び悩みます。
2016年の一日1キロあたりの輸送密度は766人となっています。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/天竜二俣駅
厳しい経営の中の増収策として、
中心駅・天竜二俣駅の鉄道公園化?があります。
筆者が初めてこの駅を訪れたとき、驚いたのは
「意外とローカル線の駅にしては規模が大きいな」ということです。
駅舎、ホーム、上屋こそ古びた造りであるものの、
昔は島式のホームが2面4線全て使われていたのだろうか・・。
国鉄時代は遠江二俣機関区が置かれ、現在も本社とし車両基地が置かれています。
「古きよき鉄道風景」がそのまま残されています。
1998年には、旧機関区、扇形庫、転車台が国の登録有形文化財となっています。
扇形庫、転車台は近代産業化遺産に指定され、
入場券を買うことで見学できます。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/天竜二俣駅
昭和15年(1940年)に全通した天浜線には、
今でも昭和初期の面影残る木造駅舎が数多く残っています。
全線フリーきっぷを使って、ノスタルジーに浸るのも
心のほぐすのに良いでしょうね。
3.肥薩線・くま川鉄道(2019年2月23日放送)
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真幸駅(フリー素材)
・肥薩(ひさつ)線は熊本県八代駅から内陸の人吉駅を経て、鹿児島県隼人駅までの124.2キロの路線です。
・くま川鉄道は人吉温泉駅(JR人吉駅と同じ場所だが駅名が違う)と、湯前(ゆのまえ)駅までの24.8キロです。
国鉄湯前線時代に廃線対象となり、1989年にJRから第三セクター鉄道「くま川鉄道」に転換されました。
肥薩線は元鹿児島本線です。
明治時代建設の際、有事に艦砲射撃で寸断されるのを防ぐ意味からも
球磨川沿いに辿る内陸ルートが選ばれました。
昭和2年に海岸沿いの鹿児島本線(現肥薩おれんじ鉄道)ルートが開通すると線名が肥薩線に改められました。
現在九州自動車道も八代から山中を抜けて、人吉経由となっています。
宮崎方面へのルートとしても機能させるためでしょうか。
線路は球磨川沿いの西岸を主に走り、人吉まで大きな町がありません。
途中、九州最長の鍾乳洞の球泉洞最寄りの「球泉洞駅」があります。
駅からつり橋を渡って、徒歩20分ほどでアクセスできます。
人吉は相良藩の城下町で、人口32000人。
周辺町村の拠点ですので、人口規模にしては大きな町のイメージがあります。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/人吉駅
筆者は小学生の時、鹿児島のおばあちゃんの家から一人旅しました。
ところが大雨で列車が遅れてしまい、不安な中駅弁の「栗めし」を食べました。
「栗がたくさん入ってるな・・・。」
落ち着かない気分なのに、奇妙に美味しかった。
この素朴で汽車旅を感じる駅弁は、現在も販売されています。
人吉駅に来たら外せません。是非食べてみて下さい。
肥薩線のハイライトは人吉―吉松の「矢岳越え」です。
スイッチバックとループ線で標高差480メートルを超えていきます。
現代の移動手段としては適していませんが、
鉄道遺産ともいえる壮大なロケーションは一度は体験すべき区間です。
昔は急行「えびの」が博多から宮崎まで走っていました。
小学生当時、5両繋いだ「えびの」で矢岳越えをしました。
国鉄からJR化直前の時代で、
「真幸駅も無人化され次第に寂しくなってまいりました」
粋な車掌さんがアナウンスしていました。
真幸駅は、京都龍安寺のように、構内が石庭風に掃き清められていた駅だったのです。
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大隅横川駅(フリー素材)
吉松からは隼人は、従来は地味な区間でした。
観光特急の「はやとの風」が走って以来、
明治以来の駅舎の、大隅横川駅・嘉例川駅は脚光を浴びるようになりました。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/くま川鉄道KT-500形気動車
くま川鉄道は、肥薩線と対照的に、平坦な人吉盆地を辿ります。
おもな乗客はやはり高校生です。肥薩線より人吉経向かう乗客数が多くなっています。
近年は「水戸岡鋭治デザイン」の車両「田園シンフォニー」が
全5両走っており、乗り得感があります。
4.九頭竜線・長良川鉄道(2019年5月18日放送)
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九頭竜湖駅・https://ja.wikipedia.org/wiki/越美北線
・九頭竜線(くずりゅうせん)は正式には越美北線(えつみほくせん)で、
福井駅の隣、越前花堂駅から九頭竜湖駅まで52.5キロの路線です。
・長良川鉄道は、もと国鉄越美南線で、廃線対象からの第三セクター転換です。
美濃太田駅から北濃駅まで72.1キロの路線です。
九頭竜線と長良川鉄道は
「越美」の名の通り越前(福井県)と美濃(岐阜県)を結ぶ路線として計画されました。
しかし、時は流れ、「需要が見込めない」「道路環境が良くなった」等の理由で全通することはありませんでした。
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越美北線(フリー素材)
九頭竜線の大きな役割は、県都福井市と越前の小京都大野市を結ぶことにあります。
途中、朝倉氏の居城跡下車駅の一乗谷駅を経て、小さな峠を越えて越前大野駅に至ります。
大野は名水百選の御清水(おしょうず)をはじめ、豊富な湧水の町として知られています。
越前大野駅でレンタサイクルを借りて、名水めぐりをすることが出来ます。
越前大野駅から九頭竜湖駅の区間は、
盆地の端の勝原駅から、延長5251メートルの荒島トンネルを抜けます。
上り勾配で荒島岳を貫くトンネルを抜けると、旧和泉村(現大野市)のエリアです。
自転車で筆者は、国道を通り福井から、大野、九頭竜湖、美濃白鳥と抜けたことがあります。
勝原駅から九頭竜湖駅の区間は、列車で行くと距離がさほどでもなく感じます。
ところが、自転車には厳しい。延々とカーブと上りが続き集落もない。
「こんなに厳しいロケーションに駅があるのか・・・。」
JAの店でかった、ゆでトウモロコシをかじりながら、感心した記憶があります。
冬季は豪雪地帯で、これが国鉄時代越美北線が廃線対象にならなかった理由です。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/九頭竜ダム
終点の九頭竜湖から、国道は壁のような九頭竜ダムの高さまで登ります。
岐阜県境の油坂峠は標高780メートル。
中部縦貫道が貫いていますが、国道は古いトンネルです。
豪快なカーブと橋を下り、白鳥の町まで下ります。
自転車で辿った当時は、九頭竜湖からろくに補給できず
ようやく飯にありつけた区間です。
この区間鉄路を通しても、やはり需要はなかったと思われます。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/北濃駅
岐阜県側、長良川鉄道の終点が北濃駅です。
終点にしては、あまりに静かで存在感が薄い。
3駅南へ下った美濃白鳥駅が旧白鳥町の中心です。
郡上市、白鳥は「白鳥おどり」で知られた街。
8月13・14・15日と徹夜で踊り明かします。
長良川鉄道は、南下し郡上八幡に向かいます。
郡上八幡は「郡上おどり」で知られ
こちらは8月13日から16日まで四夜踊り明かします。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/郡上踊り
白鳥も八幡もどちらも郡上市であり、
「日本一の踊りの町」と称しています。
郡上八幡城の城下町。駅も古い佇まいそのままです。
川との調和が印象的な街です。
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美濃市駅(フリー素材)
長良川鉄道は、紙の町美濃、刃物の町関を辿り、
終点美濃太田に着きます。
県都岐阜へ直接出られないため、経営環境は厳しいです。
ここも水戸岡鋭治デザインの車両「ながら」が走っており、
新たな観光客獲得に頑張っています。
関、美濃市、美並苅安、郡上八幡の4駅では
レンタサイクルが設置されています。
長良川の川面とせせらぎが、
おちついた小さな町々良く似合います。
そんな沿線に訪れてみては如何でしょうか。
読んでいただきましてありがとうございました。
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