ゾウの一日の食事量はどのくらい?驚きの能力とは?江戸時代日本へ来たゾウとは?

みなさんご存知の通り、ゾウは現在生きている中で最大の陸上哺乳類です。
動物園では必ずチェックしたい動物の一つですね。
アジアゾウ、アフリカゾウとマルミミゾウの3種がいます。
この記事では巨大なゾウの食事、優れた能力、江戸時代来日したゾウについてお伝えします。
【目次】
1.アジアゾウとアフリカゾウの違い
2.ゾウは何を食べる?どのくらい食べる?
3.数々のゾウの優れた能力
4.江戸時代に日本にやってきたゾウ

1.アジアゾウとアフリカゾウの違い

主なゾウはアジアゾウとアフリカゾウ。
マルミミゾウは、以前アフリカゾウの亜種とされていたほど、アフリカゾウに似ています。

アフリカゾウ(左)・アジアゾウ(右) 出典 https://ja.wikipedia.org/ゾウ

① アフリカゾウの方が大きい
アフリカゾウ 体長6~7.5m ・アジアゾウ 5.5~6.5m
② アフリカゾウの方が重い
アフリカゾウ 5.8~7.5t・アジアゾウ 4~5t
③ アフリカゾウの方が牙が長い
アフリカゾウ オスで3m・アジアゾウ 2m以下
④ 背中の形が違う
アフリカゾウ 肩と腰が上がり背中はくぼんでいる・アジアゾウ 丸く弧を描いている
⑤ 耳の形が違う
アフリカゾウ 大きい三角形・アジアゾウ 小さい四角形
⑥ 頭の形が違う
アフリカゾウ 平面・アジアゾウ コブがある

気性はアジアゾウのほうが穏やかといわれています。寿命は60年から70年です。

2.ゾウは何を食べる?どのくらい食べる?

出典 写真AC

ゾウの食事は一体何でしょうか?
動物園のショーのイメージから、サツマイモや果物を食べるのだろう、と考えますが、
実際は、ほとんど木や草を食べています。
ゾウの一日の食事の量は200キロから300キロに及びます。

動物園では干し草やペレットを主に与えています。竹を与えるところもあります。
一日の食費は如何ほどでしょうか?...約9000円だそうです。

飲む水の量は1日100リットル、一個のフンの量は2キロです。
フンは一回に5個、一日10回排便し、総計100キロにもなります。

3.数々のゾウの優れた能力

出典 写真AC

① 時速40キロで走れる
ゾウは5tの巨体で、自動車並みのスピードで走ることが出来ます。
100m短距離走の世界記録を討ちたてた、
ウサイン・ボルトのトップスピードは時速44.6キロです。

これに近い速度で、「中型ダンプカー」が疾走するのですから、恐ろしい能力ですね。

筆者は、昔デジタルスピードメーターを付けた
自転車で走り込んでいましたが、
ママチャリで時速40キロを出すのはなかなか大変です。

② 持久力がすごい
ゾウはなんと一日に120キロ歩くことが出来ます。
また、泳ぎも得意で、一日に48キロ泳いだ記録も残っています。

③ 優れたコミュニケーション能力
ゾウは人間に聞こえない、20kHz以下の低周波を使って仲間と会話できます。
足の裏で、低周波を感知でき、その刺激が耳に伝わります。
30キロ~40キロ離れた音も分かるといいます。
さらに、鳴き声は自動車のクラクション並みの112㏈で、10キロ先でも確認できたそうです。

④ 器用な鼻
ゾウのシンボル「鼻」が器用なのは良く知られています。
目と同じくらい敏感と言われ、筋肉で出来ていますので、自由自在に動かすことが出来ます。

口へ食物を運ぶ、水を吸い上げ、口に運ぶ・・・。
鼻先で仁丹をつまむことが出来、鼻でバケツ1杯分(10ℓ弱)の水を貯め込むことが出来ます。
これだけでも曲芸ですね。

また、鼻は非常に敏感で、口に入れるものは全て確認しています。
薬を摂取させる際は、そのままでは吹き飛ばされる為、
好物の中に隠したりして与えるそうです。

4.江戸時代に日本にやってきたゾウ

生きているゾウが初めて日本へ来たのは、文献で確認できる範囲で、室町時代に遡ります。
1408年、若狭小浜へ入った南蛮船から、4代将軍足利義持へオウム、孔雀とともに贈られました。
以降、大友宗麟、豊臣秀吉、徳川家康に献上された記録が残っています。

時は下り、江戸時代、徳川吉宗治世の1728年、ベトナムからゾウがやってきました。
吉宗への献上品として、中国人の商人に依頼したのです。

船は長崎に入港し、オスとメスのゾウ二頭上陸。
ベトナム人通訳二名が、日本人の世話係養成もかねて同行しました。

メスゾウは3か月ほどで死んでしまいますが、
オスゾウは半年を経過した、翌1729年3月13日長崎を出発します。
途中の街道では、道の整備、ごみ拾い、橋の補強はもちろん、ゾウの宿舎、餌、飲み水の準備に追われました。

ゾウは一日12キロから20キロ歩いたといわれます。
800キロ近い街道を徒歩で4月26日、京へ到着。

京へ来たゾウを描いた烏丸家所蔵「象之図」 出典 https://ja.wikipedia.org/wiki/広南従四位白象

京ではなんと中御門天皇に謁見しています。
この際「従四位広南白象」という位と号が与えられています。
ゾウは前足を曲げお辞儀をする芸をしたといいます。

若き天皇はこの感動を和歌に詠んでいます。
「時しあれは 人の国なるけたものも けふ九重に みるがうれしさ」


ゾウ一行はさらに一か月東海道を旅します。
大井川では、激しい川の流れを渡る為、上流側で人足が肩を組んで勢いを減じました。
富士川、六郷川(現多摩川)では、
小舟を並べて、上に板を敷く「舟橋」が作られました。

箱根関所から芦ノ湖を望む 出典 https://ja.wikipedia.org/wiki/箱根関

急峻な箱根越えでは、ゾウが口から泡を吹いてダウンしてしまいます。
気つけ薬をかがせてたり、腹をマッサージして、何とか乗り切ります。


出典 https://ja.wikipedia.org/wiki/広南従四位白象

江戸に到着したのは5月25日。距離にして1480キロ。二か月以上の長旅でした。
5月27日、江戸城で将軍吉宗と対面を果たしました。

ゾウはこの後浜離宮で飼育されますが、
年間200両の飼育費が重く、1730年払下げのお触れが出ます。

ところが中々引き受け手が現れず、10年以上浜離宮で飼育されました。
下級武士以上は見学ができたそうです。

1741年、中野村の百姓源助、柏木村の弥兵衛に払い下げられました。
それから2年を経ない1743年1月にゾウは21歳で死んでしまいました。

この記事では、ゾウの食事、能力、江戸時代に来日したゾウについてまとめました。
江戸では当時ゾウの大ブームが起こり、版画、双六、刀剣、印籠まで様々グッズが作られたといいます。
こんなところが現代の日本人にも通じているように思います。
時にはゆったりと、大きくて頭のいい、感情豊かなゾウを見て和みたいものです。
読んでいただきましてありがとうございました。

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